ひと月に1本ずつ、東京教育カウンセラー協会理事が、エッセイを執筆して掲載します。
マスクと同調圧力
東京教育カウンセラー協会代表 藤川章
ある中学校で、生徒の三分の二以上がマスクを外したがらないと聞いた。もう、卒業まで顔を見られたくない、という気持ちかららしい。マスクを外した相手の顔を見て落胆した経験から、自分も「がっかりなんてされたくない」という心情なのだろうか。少なからず、ちょっとがっかりした経験は私にもあるが、だからといって自分の顔に落胆されたくないという繊細な感性は持ち合わせていない。中学生は、人生の中で最も自尊感情が下がる時期。だからこその現象かもしれない。「あるがままの自分」を素直に自己受容できるような教育が、今さらながら必要だと感じる。
ところで、マスクの着用については、コロナ禍では「同調圧力(ピア・プレッシャー)」が大きな話題となった。そこにはポジティブ・ネガティブの両面があったように思う。それについて少し私の考えを述べたい。
日本には、古くは山本七平氏の「空気の研究」がある。日本は欧米に比べて、論理より場の空気で組織決定されるのだと、やや否定的な評価であった。社会心理学の実験では、有名なソロモン・アッシュの同調行動の研究がある。同調とは人が態度や行動を他人(特に多数派)に合わせることを言う。実験では、七人のサクラと一緒に参加した被験者は、かなりの確率で必ずしも納得していなくても、自分に不利になることを怖れて、誤った答を選ぶというものであった。つまり、洋の東西を問わず、人は同調圧力に左右されやすいということだ。
作家の鴻上尚史氏は、日本の社会の息苦しさの原因は「同調圧力」だと断定する。コロナ前から、教育の場で「同調圧力」が話題になるときは、学校の教室が子どもたちにとって息苦しいものだという否定的な言い方で語られてきた。それこそ、いじめを生み出す土壌だ、という厳しい論調だ。これを、学校の教員たちは半ば頷きながら、半ば居心地の悪い気持ちで聞いたものである。それは、多分、学級集団では、良い意味の「同調圧力」を生かして、子どもたちの成長を促しているという実感を持っているからであろう。
たしかに、他人を「支配」または「束縛」するような圧力のかけ方は、仲間はずれ、村八分のような「いじめ」の土壌になり得るだろう。しかし、学校の教員たちは、運動や音楽が不得意な子どもにも、友達と一緒に行事に取組み、終わった後の満足感や成就感をもつ可能性を期待して指導する。その結果として、不得意なことを強要されて学校に行きづらくなる子どもと、仲間の支えをもとに成就感を得る子どもとでは、天と地の差ができる。
太田肇氏は『同調圧力の正体』の中で、イデオロギーとしての共同体主義がその正体だと言う。戦前の全体主義や国家主義と同義で語られているように感じる。学校は子どもたちの共同体であることは間違いない。そこで、識者が心配する共同体主義のあり方について、私たちなりの考え方をしっかりと持っておく必要があろう。アドラー心理学では、「共同体感覚」のために必要なこととして、次の3点を挙げている。自己受容、他者貢献、他者信頼だ。クラスのために(教師のために)、一人一人の子どもがスポイルされることがないように、この3つを大切にすることが、共同体主義批判に対する答になると思う。